カテゴリ:雑談( 17 )

コトラーが教えてく…

ブログの投稿にあたり今のところメインで考えているのは「Economistを読むためのボキャブラリ」で、今はその投稿すらなかなかできない状況ですが、今日帰宅するなりあまりにも笑ってしまう出来事(「唖然とする」という方が正確かもしれません)がありましのたで、簡単にでも投稿しておこうと思わずPCに向かってます。

今日受信したメールで件名のところが「コトラーが教えてく…」の部分まで見えるメールがありました。
(「コトラーが教えてく…」の部分まで見える…というのは、私のPCのディスプレイの大きさとメーラーの状態の問題。横向きに広げればちゃんとタイトルは見れます)
毎日のように本や他の商品の案内を送ってくるAmazonからのメールでした。

コトラーといえばアメリカの経営学者でマーケティングの大家。私も経済学部の出身ですし、コトラーの名前くらいは知ってます(汗…)。普段はAmazonのメールもほとんど無視状態なのですが、今日ばかりは「ほう、コトラーね」と気になりメールを開いてみました。

そうしたら紹介してきた本のタイトルが、
「コトラーが教えてくれたこと〈2〉女子大生が変えたブラック企業のマーケティング戦略」

笑ってしまいました。Amazonへのリンクをつける気にもなりません。
「もしドラ」の何番煎じか知りませんが、 こんなタイトルつけるのはもういい加減恥ずかしくないもんですかね。
本の内容はいいのかもしれませんし、著者自身はタイトルを決めるのにあまり関係してないのかもしれませんが、少なくとも出版社の人の想像力とセンスを疑ってしまいます。出版社の人も「分っているけど…」というのが本音でしょうけど…。
このタイトルに読む気が一気に萎えてしまうのは私だけでしょうか。残念です。

ネガティブな投稿になり申し訳ございません…。
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by couricafe | 2012-02-23 23:50 | 雑談

Death of a Salesman --- Bobとの闘い

「"Death of a Salesman"を読む」というBobとの格闘は続いています。
本編が終わった後も、アーサー・ミラー自身による回顧録、ミラーへのインタビュー、ステージデザイン担当者の日記が終わり、ようやく劇評のところまでたどり着きました。

Bobとのリーディングは毎回8ページ~10ページ進むのですが、1ページ予習するのに相当な時間をかけている私からすると、1週に8ページや10ページのペースというのは正直かなり堪えます。
私の本は、調べたことを記入したりアンダーラインを引いたりで、赤、青、黒のボールペンでもう埋め尽くされてます。

"Death of a Salesman" は1949年に初演を迎えたのですが、競争社会の中で敗れた主人公が自殺をするという内容から、「競争社会への批判」というふうに捉えられがちだったようで、後の映画化の際には、上映前に「この映画は競争社会の批判じゃありません」といった感じのコマーシャルのようなものが流されたそうです。今ではちょっと考えられないことですが、冷静に考えると日本でも比較的最近、天皇や靖国神社に関する映画では物議を醸すことがあったことを思い出します。方向こそ違いますが、それに少し似てるのかもしれません。

1958年に行われたPhillip Gelbという人によるミラーへのインタビューでは、「この頃はアメリカが非常に保守的だったから、このインタビューを通じてミラーは自己正当化しようとしたのだろう」とBobは背景を説明してくれます。そういうの背景を知らないと英文そのものは読めても内容の本質まではなかなか捉えられないので助かります。

このインタビューのところでは、私が音読していると、ところどころでBobはクスクス笑いだします。そして私の音読を止めては「ここはミラーが『自分はユートピアンでありソーシャリストだ』と本人自らで言ってるようなもんだよ。クックックッ」と膝を打ちながら解説するのです。「ミラー自身はこのような社会で最も恩恵を受けてた人だけどね」と付け加えながら…。

今日からようやく第三者による劇評のところに入ったわけですが、トップバッターとして登場するRobert Garlandは、1949年2月11日の "The New York Journal-American" に批評を掲載しています。これはつまり前日(2月10日)のオープニングナイトの公演を観ての劇評と思われますので興味深いです。
掲載日から考えて、彼は他の批評家の意見などの先入観なく公演を観たはずですが、批評は実に的を得ています。特に私に興味深かったのは、自殺したWillyはもちろんそうですが、妻のLindaも同様に最も悲劇の人として彼が捉えている点です。

And she, as wife and mother, is powerless to prevent it. This, to me, is the play's most tragic tragedy. She, too, is the play's most poignant figure. Not soon shall I forget her!

公演を観た恐らくほとんどの人は、競争社会の敗北者であるWillyをまず初めに悲劇の人と考えると思います。(私自身はじっくり振り返ってみた時、長男のBiffが最大の犠牲者だと思ってます)
Robert Garlandは、"At the Morosco, only Linda Loman can forsee the end."(モロスコ劇場では、Lindaだけが最後(Willyの自殺)を予見できる)にも関わらず、"She is powerless to prevent it."(それを防ぐ手だてがない)点を最大の悲劇ととらえてます。それは確かにそうかもしれません。

ちなみにBobは、Willyへ憐みの気持ちをあまり見せません。「今の日本やアメリカ社会を見てみろ。Willyは63歳まで仕事があり、家も車もあってローンも完済したんだぞ。どこが悲劇の人なんだ」と結構冷たいです。

"Death of a Salesman" は、1949年にピューリッツァー賞や "New York Drama Critics' Award" を受賞することになるのですが、Robert Garlandがオープニングナイト翌日に掲載したこの劇評の最後がある意味凄いです。
Arthur Miller's Death of a Salesman at the Morosco is my personal prize-play of the 1948-1949 New York season. Here and now, I beat the Pulitzer people and the Critics' Circle to it.
「モロスコで上演されているアーサー・ミラーの"Death of a Salesman"は、1948年から1949年のニューヨークでの公演での"my personal prize-play"。今この場で、ピューリッツアの人たちとCritics' Circleの人たちの先手を打っておく」

Bobとの闘いはまだ当分続きます。
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by couricafe | 2012-02-12 03:30 | 雑談

続・なんと恐ろしいことを…

前回の投稿、舞い上がってるのは本人だけで、続きが気になる方は特にいないと思いますが、万が一気になってる方がいるといけませんので続編です。

今日、彼女の舞台に行ってきました。

前回の投稿のときには、終演後に彼女を訪ねることに少し迷いがありましたが、会うか会わないかは彼女の判断に委ねるとして、ひとまず「お詫び」と「お礼」にだけは行くことにしました。ただし彼女に会うからにはさすがに「手ぶらでは行けないな」と思い、少し考え、このお店の「ケークオフリュイ」(1本のでかいやつ。1200円から1300円くらいのもの)を持参することにしました。私が他にスイーツのお店やモノを知らないということもありますが、とりあえずこのお店の「ケークオフリュイ」をあげておけば、99%の女の子は喜んでくれます(100回もあげたことないですが…)。

ちなみにこのお店、秋口から年明けの1月あたりまで、モンブランが有名らしいです。
せっかくなので彼女にモンブランを持っていくという選択肢もありましたが、モンブランは生菓子ですし、冷蔵保存で賞味期限が当日なので、これはさすがに諦めました。私は自分用のモンブランを、今日お店にいったときに買ってきてさきほど食べましたが、まあこれは確かに絶品なような気がします(普段、こんなの食べないので他と比較できない…)。おまけに私の場合、甘いモノを食べると、食後の口当たりの問題や、あとあっという間に歯が悪くなるような気がして、わりかしすぐに歯を磨くのですが、このモンブランは食後も全然そういう気持ちにもなりません。

しかし「ケークオフリュイ」をあげるにあたっても少し考えました。彼女はミスコンの人ですし、「(体形維持の観点で)ひょっとしたらこんなの食べないかも…」と思ったのです。ただ女の子であれば、甘いものをあげて嫌がることはまずないですし、万一彼女が食べることができなくても、日持ちもしますし、共演者にでも分けてくれればいいと思い、結局この路線で進むことにしました。

金曜日に予約、というか取り置きのお願いの電話をしました。すると店員から思ってもみない返答が…。「ケークオフリュイ、もう1本の販売はしてないんです」
少し困りましたが、他にどうしていいか分からない私は、「日持ちする同じようなやつはないですか?」と聞きました。すると店員は「抹茶系のやつで1本ものがある(私は説明を聞いても分らないのが正直なところ)」とのことでしたので、結局それをお願いしました(何て名前だったか忘れました。値段は1260円)。

そして当日午後にお店に取りに行き、一旦自宅に戻ってから、我が家から30分のところにある劇場へ向かいました。
いわゆる小劇場で、観客100人程度のところですが、今回は入口からしていつもと少し様子が違います。
届けられている「花」が多いのです。もちろん彼女への花もありましたが、それ以外の人へのものも結構あります。これが意味するのは何か。私はいわゆる「テレビ」はほとんどみませんので、名前を見てもよく知りませんでしたが、「日頃、主に映像系で活躍している役者が数名は出演している可能性が高い」ということです。

これは実は私にはあまりうれしくないことです。といいますのも、映像系の人が出演する舞台だと、①いわゆる業界人っぽい客が増える、②普段、芝居など見向きもしない追っかけみないなのが客として結構くる、のです。もちろん、映像系の関係者に小劇場で活躍する役者を見てもらうチャンスにもなりますし、また、小劇場を観に来てくれる新しいファンが増える可能性につながります。小劇場役者が、他方面で活躍するのが私の願いではありますので、これらは何も否定すべきことではありませんが、こういうお客さんが多いと、劇場内の雰囲気がいつもとちょっと違ってて、私にはなかなかなじめないのです。劇場内に入ると、案の定、そういうお客さんで一杯でした。

このお芝居、少し変わっていて、共通のキーワードをもとに3つの違うカンパニーやプロデュースユニットがそれぞれ約30分~40分ずつ演じるオムニバス形式でした。
彼女は2番目の芝居に出てきました。彼女は包丁で友人を殺す役(実際は、ある秘密を明らかにするために、その殺されることになる友人と仕掛けた罠で、殺していなかった)でしたが、出演している30分~40分の間、彼女は包丁を振り回すばかりで、私がリーディングを習っているボブ的に言えば「Character developmentに乏しかった」印象は残ります。でもお芝居自体は、「殺したと思ったら殺していなかった」ドンデン返しもあり、面白かったです。

さて終演。役者との面会の方法はどうなるのか?
(1)ホールや劇場出口に役者が出てきてくれ、フリーに話せるケース
(2)面会は普通にあるが、スタッフに名前を伝えて、会わせてもらうケース
(3)面会自体、基本的にはない(よほどの知り合いであれば、楽屋を訪ねる)ケース
がありますが、今日は(1)のケースでした。

小劇場のいいところはまさにこの(1)のケースで、この場合は、一般の人も役者と話したければ、気軽に話かけられるのです!ところが、私は個人的にはこの(1)は好きではないのです。なぜかと言えば、このケースの場合、面会が始まったとたんに芝居関係者のインターナルな同窓会みたいな雰囲気になることが多いのです。どうもあの「閉じた感」がいけません。小劇場劇団通しの相互依存関係みたいなものが感じ取れ、少しだけですがイヤな感じは持ってます。それに「小劇場のいいところはまさにこのケース」と言っている私自身が、このケースで知らない役者さんに話しかけたことはほとんどないです。

それはさておき、私もこれで彼女と面会することは可能になったのですが、彼女は「ミスコンでグローバルに活躍してきたほどの人」ですから、私はあくまでスタッフを通じて面会を希望し、彼女が会う意思があれば面会しようと考えました。
フリーでの面会の場合は、結構友人とかとの会話が長くなることが多いので、私はしばらく外にでて一服することにしました。ひとまずタバコを2本吸い、ホールに戻ってみると、まだ彼女は知り合いと話してます。そこでまた一旦外に出て携帯電話をチェックしたり、またタバコを吸ったりしました。それから戻ってみるとやはりまだ別の人と話してます。しばらく傍から見てると、彼女の周りに集まってくる人たちは、EXILEみたいな、私からするとちょっとウザイ系な男が多い感じがしたのは気のせいでしょうか。

そうしていると少し様子が変わってきました。どうやら今回の講演では、日々の終演後にホールで乾杯をするようで、周りでビールが配られ始めました。そして「面会はもう終わり」といった雰囲気になってきました。私は「おっ、これはやばいことになったきた」と思いました。もう「スタッフを通じて…」なんていってられません。次に彼女が空いたタイミングで突撃することにしました。

そして彼女に一瞬の空きができた瞬間に「○○さん、この間、電車で…」と話しかけました。彼女にしてみれば、あんな電車男は忘れたくてもしばらくは忘れようはないでしょうから、もちろん覚えていてくれました。
本当であれば、3分くらいゆっくり話をしようと思ってましたが、周りはもう完全に乾杯モード。彼女にもビールを渡そうとします。そこで持って行った手土産を渡し、手短に1分くらい話をしました。「ありがとうございます」と言って彼女の方から握手してくれましたし、私が個人で用意している名刺も受け取ってもらうことができました。
私が突然電車で声をかけたことを詫びると、本心か嘘かは分かりませんが、「嬉しかったです」と言ってくれたのが救いです。最後に「ぜひこれからも応援させてください」と言って劇場を後にしました。

今回彼女がどうして芝居(しかも小劇場芝居)に出演することになったのかは分かりませんが、彼女の場合はミスコンの人ですし(まだミスコンの運営会社に所属してるもよう)、恐らく今後もイベントでの活動が多くなるのだと思います。いわゆる芸能系での露出が増えたとしても映像中心でしょうから、劇場で彼女の姿を観ることは今後あまりないと予想してますが、私からすれば「滅多なことでは会ったり話せたりしない人とのあんな劇的な出会い」ですので、メディアに捉われず、今後も彼女の活躍を応援していきたいと思います。
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by couricafe | 2012-01-16 01:39 | 雑談

なんと恐ろしいことを…

英語ブログもすっかり挫折中で、年明け初めての更新なります。今年もよろしくお願いいたします。
前回の投稿どおり、英語学習自体はハードにやってますので、時間を見つけて少しでも更新していきたいとは思ってます。

今日、面白い…というか、私としてはちょっとした事件が起こりました。今日はこれを記録せざるを得ません。
電車内で話かけた見知らぬ人が「ちょっとした事件」の「ちょっとした人」だったのです。

今日(1月9日)のちょうど昼ごろ私は所用で新宿駅から山手線に乗ったのですが、気づけば私の左横に座っている人が、舞台の台本を一生懸命何度も見直しをしてます。恐らく近く舞台があるのでしょう。

チラリと横顔を見てみました。目元からは「美人っぽいな」とは思いましたが、大きなマスクはしてるし、顔はよくわかりません。台本をめくる手が美しく、爪も驚くほどきれいに手入れされてます。結構なネイルサロンを利用してるのかも…。年齢は24,5歳といったあたりでしょうか。

電車内やカフェ(スタバなど)で役者と思われる人が台本を覚えていたり、舞台関係者と思われる人が打ち合わせをしているシーンには私は普段から比較的よく出くわします。
私の芝居好きは、このブログを読んでくださってる方であればご存じだと思いますが、私はそういう方たちを見かけるといつも胸がザワザワするのです。恐らく「彼らをなんとか応援できないかな」という気持ちからだと思いますが、とはいえこれまで知らない役者や舞台関係者に話かける勇気は持ち得ませんでした。

ところが今日はなぜか「ちょっと声かけてみたいな」という気持ちが強く私を迫ってきました。彼女が美人に見えたから? そうかもしれませんし、理由は自分でもよくわかりません。
とはいえ、まず私が思ったのは、「もし彼女が有名人だったら声はかけるのは迷惑。何とかどの舞台か分からないものか…」ということでした。そしてしばし思案しました。すると彼女が繰り返し目を通している台本の表紙にあたるところに、舞台のフライヤー(チラシ)が10枚ほど挟まってることに気がづきました。

私がそこで気にしたのは、公演期間。
「もしひと月近くかそれより長期であれば、それなりの女優の可能性あり。数日から1週間、せいぜい2週間であれば、彼女の若さからしてもまあその辺のたくさんある劇団の人だろう。」ということ。
それに「それに自分が観に行けないのなら声かけても仕方ないし…」という気持ちもありました。

ところがなかなかうまくフライヤーの期間が読み取れる流れになりません。「彼女もどこで下車するか分からないし、声かけるのはもう無理かな?」と思ってた高田馬場駅直前、ついに確認できました。公演期間が。
今週中旬から来週中旬のほぼ1週間でした。「うん、これならその辺にある大学劇団がそのままプロ化して2,3年生クラスの役者さんだろう(=小劇場界ワイでもそこまでメジャーにはなっていない)」という判断が私に働きました。

私も毎年相当数小劇場芝居を観てますが、ここ2年ほどはかなり新規開拓が遅れていて、少しマンネリの気持ちもあります。今年は「新規開拓をたくさんしよう」と考えているところでした。
そこで「ちょっと声をかけてここでフライヤーをもらって観に行ってあげれば、また応援できる役者や劇団ができるな…」とついに声をかける決意をしました。

しかし、よくよく冷静に考えると私の右横にも乗客がいます。私の前にも彼女の前にもしっかり乗客がいます。「このまま声かけたら単なるナンパか変なオッサンと思われるかも…」という気持ちが私の頭をよぎったのでした。
彼女もいつ降りるか分かりません。電車が高田馬場駅に到着しました。すると驚いたことに、私の右側の乗客も前を陣取っていた乗客も一斉に降りて行きました。彼女は降りません。
「このタイミングだ!」「女優さんですか?」

彼女は一瞬戸惑った表情をしました。私の頭の中でよぎりました。「そりゃそうだ。『女優さんですか?』」は良くなかったな。『役者さんですか?』だったな」と。「女優さん」では、私がどこか「ちょっとした有名人レベルな人」に話かけた印象をもたれた可能性があると思ったからです。でも「役者さん」ならどんな人に使ってもおかしくありません。
彼女も「女優」であるのは間違いないのだけれども、「大学劇団がそのままプロ化して2,3年生でまだ無名クラス」であれば、見知らぬ人に「女優さん?」と言われた場合、気持ちが少しは憚られたかもしれないと思ったからです。

こんなことが瞬時に頭によぎっていると、彼女の方が「ええ、でもすごく小さな劇場でやるようなお芝居なんですよ。今度も○○というところです」と言いました。その「○○」。100人規模の劇場ですが、面白いお芝居が多く、私が足繁く通っている劇場です。そこで「○○は私がしょっちゅう通ってる劇場ですよ」と言って、しばし私の芝居好きの話をすることができました。

そして「せっかくなのでぜひ観に行きたいので、チラシ1枚もらえますか?」と言い、彼女からフライヤーをいただくことができました。フライヤーに顔写真が出てます。「どの方がそうなんですか?」と聞くと、「これです」と指さして教えてくれました。クレジットされている彼女の名前は予想通り知りませんでした。しかし写真はそれはそれは美人でした。私は普段美人に「美人ですね」なんて言わないようにしてますが、この写真には私も思わず「すごい美人ですね」と言ってしまいました(彼女は一応否定してました)。

日程をよく確認すると私が行くことが可能なのは来週の日曜の夜のみ。「日曜の夜に行きますね」と話しました。
すると彼女からは意外な切り返しが…。「そこは昨日の時点で確かチケットの残りが1枚だったような…」。私は心の中で絶望で頭を抱えてしまいました。「困ったなぁ。せっかくここまで来たのに…」
彼女は携帯電話を取り出し何やら操作し始めました。チケット残数を調べてくれてました。どのくらいリアルタイムで確認できるのかわかりませんが、「まだ1枚残ってます!」
私は即座に「それ、ここでもう押さえておいてもらえますか? 必ず行きますから」といって名前だけ告げて彼女に予約をお願いしました。

このタイミングで電車は池袋駅。彼女はちょうどここで降りるところだったようで、彼女とはここで別れました。今考えてもすごいタイミングでした。私は自分の目的地までゆっくり考えました。「フライヤーの写真は美人だけど、まああの手のやつはどうでもできるからなぁ…。さて実際はどうだか。でもフライヤーの一番左に写ってるし、ひょっとして主役? どっちにせよこれで終演後に『この間は電車で…』とまた話しかけられるな。いい役者さんだったら『これからも応援するから…』といって連絡先あげておけばいいな」なんて吞気に考えてました。

夕方家に戻り、彼女の所属やこれまでの活動を調べようと早速google先生に尋ねました(do google)。
検索結果が表示されたその瞬間、私は凍りつきました。「知らずにこんな人に話しかけてしまったのか! 本当は話かけてはいけない人だった!」という嬉しさ半分、後悔半分。

万が一、十万が一、このブログを通じて彼女に迷惑をかけることがあってはいけませんので、このブログ上で人物特定はできないようにしますが、彼女の正体は、ここ数年の間のどこかの年で「ミス・インターナショナル日本代表(=世界大会に行った人)」に選ばれた人だったのです。
彼女自身の芸能界での活躍はまだまだこれからのようですが(とはいえすでに相当の露出はある)、google先生によれば少し前に某・有名芸人とのロマンスの噂もあったようです(本人はブログで否定したようです)。

私も芝居を通じて、テレビや映画、CMにも出るレベルの「芸能人」といわれる人は何人かよく知ってますが、もし彼女のことを事前に知っていればさすがに声をかけることはできませんでした。
ましてやマスクをせずに素顔だったならば、そもそも美人が相手の場合、私自身気持ちが引いてしまいますし、それを電車の中で話しかけるなんて「いかにも露骨なナンパ」にしか見えないでしょう。とてもできてやしません。
「なんと恐ろしいことをしてしまったんんだ!」というのが正直な今の感想です。

友人に早速このことをメールすると、「お前は超美人にだけは鼻が利くから…」との返信。そういう嗅覚があっても自分には全く縁のないことなので、全く嬉しくないですね。

芝居自体については、よくよくフライヤーを見てみると、ある別ユニットで、ほぼ毎回私が見に行く人の作・演出の作品。間違いなく面白い芝居になると思ってます。

さて、あと問題は今度の日曜日。
終演後彼女に話しかけてもいいものなのでしょうか。私が観に行く公演の多くは終演後、会場外に出てきてくれて話すチャンスがあることが多いのですが、ある程度のクラスになると終演後はそのまま楽屋にひきこもってしまうケースも多いです。その場合、「どうしても面会したい」のであれば、許可もらって楽屋を訪ねるしかなくなります。今度の彼女の公演はどうだか分かりません。
何とか「突然の声かけ」へのお詫びとお礼だけは言っておきたい気持ちはあるのですけどね…。
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by couricafe | 2012-01-10 02:09 | 雑談

ブログのタイトルを変更しました

このブログを始めて1年が経過しました。始めた当初はまさか1年も続くとは思ってもみませんでした。これもこのブログを訪れてくださる皆さまの支えがあってのことです。感謝申し上げます。

1年経ったのを機にブログのタイトルを変更してみました。始めたころは確かにTOEICネタばかりでしたが、今はTOEICについて書くとはほとんどありません。「タイトルに『TOEIC…』はそろそろいいかな(卒業かな)」という気がしてきたためです。

さて新しいタイトル "Unspoken Giveaway" ですが、ブログの内容とは全く関係ありません。

アルフレッド・ヒッチコック監督の「ROPE(ロープ)」という野心的な映画があるのですが、この映画の中で、大学生のショウとフィリップは同級生のデビッドをアパートで殺害します。その直後にまさに殺害が行われた部屋でパーティが開かれるのですが、招待客のルーバートがデビットの不在を不審に思いはじめ、何かが起きたことに感づきます。

ルーバートが帰るときにメイドから帽子を渡されるのですが、そこで間違って他人の帽子を渡されます。メイドはそれに気づき「あたたの帽子じゃなかったわ」と今度はルーバートの帽子が渡され、それでその場は終わるのですが、ルーバートがふと見た、間違って渡された帽子に刺繍されていたイニシャル --「DK」-- デビット(David Kentley)のイニシャル-- で、ルーバートはデビットが間違いなくこの部屋にいたことに気づくのでした。

私の友人にボブというアメリカ人がいるのですが、ボブは映画が大好きで最近私が観るクラシック映画のほとんどがこのボブの推薦するものです。
そしてこの映画について話しているとき、この帽子のイニシャルのシーンをボブは "Unspoken giveaway" と表現していました。

"giveaway" は、「おまけ」とか「景品」あたりの意味ですが、恐らくボブは「本編で直接言及されることのない(決定的な)証拠」のような意味で使ったのだと思います。

この表現が私にはとても印象的でよく覚えているので、ついでにブログのタイトルにしてみた---ただそれだけの理由です。決して「何かのおいしいネタを密かにこのブログで開示していこう」とかそういうものではありません。そんなことできたら平凡サラリーマンなんかしてません。ただ "Unspoken Giveaway" だけでは何のブログかさっぱり分からないでしょうから、後ろに "~英語学習について綴るブログ~" とはつけてみた、そんな次第です。

何はともあれ、今後もよろしくお願いいたします。
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by couricafe | 2011-07-04 02:13 | 雑談

祝・ヒルノダムール天皇賞勝利

日曜日の競馬でヒルノダムールが天皇賞(G1)で勝利しました。
ヒルノダムールの生産者は日高の橋本牧場という小さな牧場なのですが、私の友人が橋本牧場の社長(だと思う:橋本博氏)と大の親友ということから、競馬好きな私は橋本牧場生産馬を応援し続けてます。

橋本氏と私は直接お会いしたことはたった1度だけで、私とは親しいわけではないのですが、橋本氏は数年前に、怪我で日本(中央競馬)で走れなくなった馬(橋本牧場生産)を「ファンドを組んでシンガポールで走らせよう」というかなりチャレンジングなことを企画した方で、友人の紹介で私もそのファンドに少しばかりですが出資させていただいたことがあります。

その馬は日本では怪我に苦しみ中央競馬で勝ちあがれないままでしたが、シンガポールでは怪我もせず数十戦走ってくれ(3勝)、昨年他の馬主さんへ売却されました。

こういうのに出資する際は「1円も戻ってこなくて仕方なし。楽しめればよし」と思わなければ出資できません。しかし、元金こそ戻ってきませんでしたが、最後は相当レベルの配当に与りましたので満足してます。

さてヒルノダムール。皐月賞で2着したように3歳からG1級の力を見せながら、なかなか重賞を勝てず歯がゆい思いをしてました。「G1では善戦マンまでの馬なのかな」とまで最近思うようになってましたが、大阪杯の勝利で吹っ切れたのでしょうか。

この勝利で凱旋門賞(フランスで行われる世界最高峰のレースのひとつ)への挑戦プランが出てるようです。
個人的には「あらゆる条件に恵まれて日本でやっと勝利した馬が、世界レベルでは果たしてどうか」という感は否めませんが、先日同期のヴィクトワールピサがドバイワールドカップ(世界最高賞金のレース)で勝利しましたし、大阪杯(2000m)でレコードで走れるスピードと天皇賞のような緩い馬場をこなせる力があれば、挑戦してみる価値はあるのかもしれません。

社台グループ全盛の日本競馬界で、橋本牧場のような零細な牧場は、生涯で重賞(G1~G3)をひとつふたつ勝てれば「快挙」なんだと思います。しかし橋本牧場はこの10年ほどで重賞馬3頭(5勝)ですから「奇跡的な生産牧場」と言えるかもしれません。

ウインクリューガー (NHKマイルカップ(G1), アーリントンカップ(G3))
ソリッドプラチナム (マーメイドステークス(G3))
ヒルノダムール (天皇賞・春(G1), 大阪杯(G2), 皐月賞(G1)2着)

それぞれの父が種牡馬として初年度だったり、まだ評価が定まらないときに種付けをしてるところは、橋本氏の生産者としての慧眼といえるのでしょう。

今後もどんな素晴らしい競走馬を輩出してくれるか楽しみです。
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by couricafe | 2011-05-02 23:16 | 雑談

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。
毎年1月2日の早朝に明治神宮に初詣に行くようにしてるのですが、今年は朝起きれず明日に行くことにしました。もちろん昼間行ってもいいのですが、あの行列と待ち時間が私にはどうも…ということで、冷や~っとした透明感ある空気でいっぱいの、人が少ない早朝に行くようにしてます。

Economistを読み始めてちょうど1年が経ちました。
Economistは、ずっと前から気になっていた雑誌でした。でも経済の数式でいっぱいの「専門家が読む雑誌なんだろう」とか「難易度が高そう」とかの先入観があり、書店に行っても決して手に取ることもありませんでした。しかし一昨年の年末に立ち寄った紀伊国屋で何故かふと手に取ってみて、気持ちが一気に動かされました。たまたまめくって読んでみた記事が非常に読みやすかったのと、あの挿絵もあわせた誌面の美しさに一目惚れしたのでした。

ただここで考えされられたのが価格でした。決して手の出ない値段ではありませんが、TimeやNewsWeekに比べてたらかなりの高額です。そこで年末年始の間に一旦考えることとして、その時は購入することもなくその場を離れました。

しかし1月1日になって「やはり読みたい。どうせいつかは読みたいと思ってるなら今」と、Economitへの物凄い衝動に駆られ、年明けの1月2日だったか3日だったか紀伊国屋の年始の営業日に早速足を運び、1冊お試しで購入しました。もちろん内容は易しくありませんでしたが、むさぶるように何本か記事を読んで、当日の夜にはWebから定期購読を申し込んだのでした。

1年間読んできて今思うのは、「たぶん一生読み続ける雑誌なんだろうな」ということ。よほどお金に困れば別ですが、そうでなければ死ぬまで講読続けると思います。Economistさん、2年目もよろしくお願いします。

また、このブログも開始から半年が過ぎました。はじめた当初はTOEICにフォーカスした投稿が多かったですが、今はTOEICの受験も学習も全くやってないですし、昨年の後半を見れば分かるように、今後はEconomistが元ネタとなる投稿が中心となると思います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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by couricafe | 2011-01-02 15:33 | 雑談

ちょっと雑談

今日はちょっと雑談です。
このブログを初めて4ヵ月が経ちました。管理画面を見てみると投稿数が80本ですから、ひと月20本平均ということになります。「なかなか頑張ってるな」とは思います。

このブログを始めたのは、TOEICで自分なりに納得ができる点数が取れてから1年が経過してからですが、
この頃はもうTOEICの学習は一切しておらず、TOEICについてもかなり忘れ始めかけてました。

でもせっかく自分なりに蓄積してきたノウハウ的部分もあったので、これを「どこかに残しておきたい」という思いと、ひょっとしたら「他の学習者の方にも参考になるかも」という思い、そしてTOEIC後も四苦八苦しながら英語学習を継続している姿を「一緒に共有してくれる学習者がいるといいな」という思いから始めました。

でももう一方では「ひと月継続できるかな?」という思いもありました。実際TOEICネタについてはほぼ書き尽くしたと思いますし、実はそうそう英語に関するネタも持っているわけではありません。

そのような中、何とか4ヵ月は継続できました。まだまだ読者の方は少ないですが、毎月少しづつこのブログを訪れてくださる方は増えております。ありがとうございます。

私はSEO対策(検索サイトで上位にくるような対策)などは一切行っておりませんし、たとえば人気ブログランキング(←クリック)のようなものにも全く関心がありませんので、普通に検索しても簡単には私のブログには行きあたることはないと思います。現に "TOEIC 900点" でgoogleで検索をしても、25ページから30ページあたりでしか表示されないのですが、みなさんいったいどこからこのサイトを見つけてくれてるのか不思議な感じはします。

ただこうやって少しずつですが私のブログにお越しいただく方が増えていくと、ものすごい励みであると同時に「今後何を書いていけばいいのかな?」とプレッシャーは少しはあります。

恐らく一番ニーズがあると思われるのは、やはりTOEIC関連だと思います。ただこれは先ほども書きましたが、私の思いはほぼ書き尽くしました。それに最近は一切勉強も受験もしてないので、最近の傾向なども全く把握しておりません。個別に多少のアドバイス程度ならできるとは思いますが、これについては今後はあまり気の利いたことは書けそうにありません。

それから、日常の中で出会った英語(仕事での英語や英会話の話)について時々書いてますが、これはほぼおまけのようなものです。

やはり期待できるのは、Economistでしょうか。ただ、これも本来はもっと大きな視点から記事や英文の解説ができればいいと思ってますが、現時点ではとてもそのレベルにはありません。そのレベルに達するにはまだ10年くらいはかかるかもしれません。
そこで「とりあえず」と現在はボキャブラリシリーズを中心に書いていっているのですが、これについても「果たしてこのままでいいのかな?」という気持ちは多分にあります。

話は少し戻りますが、私が現時点でSEO対策を一切しない理由は簡単です。自分の書く内容が「多くの方に見ていただくには、まだ堪え得るようなものではない」からです。

最近は偉そうに、Economistから「今日のボキャブラリ」といって投稿はしておりますが、私は別にTOEIC満点講師でもないですし、英語バリバリの人間でもありません。単にTOEIC900overできただけの純国産の英語学習者です。正直、毎号のEconomistも四苦八苦しながら読んでます。分らない点もたくさんあります。毎回のボキャブラリ投稿も「本当にこれで間違ってないのかな?」とドキドキです。

もし今これを読んでくださってる方が一般英語学習者だとしたら、私は単にマラソンの5km地点であなたの10m先を走ってるにすぎません。そういうレベルです。
ただ、もしこの10mの差を少しでも楽に走ってもらえることに役に立てたらと思い、自分の経験に基づき投稿させていただいてます(自分の知識の再確認を含めて…)。

先々は、先ほども書きましたがEconomistを記事内容の観点からも英語の観点からも説明できるくらいになれればいいなと思ってます。
それからEconomistの勉強会なんかも将来できるといいなという思いもあります。でもどちらもまだまだはるか先の遠い話ですね。

ここのところ、こんな感じで私は日々自分のブログに接してます。これからも温かく見守っていただけるとありがたいです。
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by couricafe | 2010-11-01 01:47 | 雑談

今日は雑談

「今日は雑談」というタイトルにしたが、雑談というよりグチである。

このトシ(30代後半)になると、いかに自分が「平凡な人間か」ということを日々痛感する。頭の回転が遅い、理解力がない、独創的な発想ができない、何か作れるものもわるわけでもない…。

20代、特に20代前半までは、まだ「自分の可能性なんか無限大」とばかりに「自分は何でもできる」と思っていたが、30歳をすぎてから、ジワジワと、いかに自分が平凡な人間なのかに気づかされてきたような気がする。

今日、仕事帰りに電車に乗ろうとしたら私の上司から携帯電話にメールが入った。ある問題の後処理を依頼する内容だった。「これまでの経緯は○○で、現状が○○。○○の結果となるよう早急に対応するように…」
この件には私はこれまで全く関わっていない。はっきりいって自分が面倒になったからと私に丸投げだ。

状況を見る限り、これから双方が100点満点に収まることは考えられない。でも「双方が70点」を目指すのなら、それなりの知恵はあるかもしれない。しかし上司からの指示は、「こちらは100点、あちらは0点」だ。

正直無理だ。「こちらは100点、あちらは0点」が無理だとしても、「あちらの0点は変わらず、いかにこちらの点数を上げるか」、例えば80点を目指すかという交渉になる。そもそものこの件にかかる前提条件に無理があったのが一目瞭然なのだが、その尻拭いをこのタイミングでさせられてもなぁ…。

しかし、このトシになると、初めから答えのある仕事なんかやってても評価はされない。はじめから完成しないと分っているジグソーパズルにチャレンジすることで初めて存在価値があるということも、もう一方で痛感するわけで、まあ何とかやるしかない。

とはいえ妙案はない。「知恵を絞る」なんて言葉もよく使うが、そんなに魔法の杖のようにポンポンよい案なんか出てこない。ただでさえ「俺は平凡」なんだから…。

3連休を前に気持ちが少し緩んでいたが、この連休ももうそれどころではない。とりあえず交渉術の本でも読んでみるか(←ビジネス書嫌いが言っている。まあたぶん読まないが…)。週末くらいEconomistをゆっくり読ませてほしい。

とはいえ、また明日からもボキャブラシリーズは書いていきます。それと書きかけの「英語学習の最大の謎」の続編もこの連休中には書きたいと思います。

グチにお付き合いいただきありがとうございました。
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by couricafe | 2010-10-08 23:07 | 雑談

メディア論

前にも書いたことがあると思うが、私はほとんどテレビは見ないし、最近は新聞もほとんど読まない。テレビを見るのは、夜仕事から帰宅した際に、「世の中の流れ」を簡単に追うためにニュース番組を軽く見るくらいだ。
しかしここ数年は、テレビ番組で最も性質が悪いのがニュース番組ではないかと思うようになってきている。

バラエティ番組なども救いようがないほど酷いとは思うが、もともと「その程度のもの」として見ている限り、まあ大して害もないだろう。むしろ時には気分転換にはなるかもしれない。しかしニュース番組の方は、「自分たちは正しいことを世の中に伝えている」と「したり顔」をしている分、性質が悪いと思うのだがどうだろうか。

中身や全体をよく精査しないままのステレオタイプの論調。発言の一部だけ切り取って発言者の真意を捻じ曲げて伝えるやり方、そしてそれを視聴者の脳裏に刷り込むように何度となく繰り返される映像。
センセーショナルな映像で視聴者の気持ちを引きつけ、視聴率さえ取れればいいといったことが見え見えなスタイルには、ホントうんざりしている。当然、スポンサーの都合の悪い報道は決してしない。

しかし、それも当たり前のことといえばそうかもしれない。
テレビは私が生まれたときにはもう存在し、その存在が当たり前なだけに普段なかなか意識しないことだが、(NHKや最近の有料放送は別として)テレビは基本的には「無料視聴」なのであって、「お金を払っている人」と「その顔色をうかがっている人」の都合のよい部分だけを垂れ流しているのは、ある意味当然のことなのかもしれない。

そして新聞、出版業界も、テレビほどは酷くないとしても、まあ大差はないと私は感じている。

話は少しそれるが、今日の仕事帰りに、コンビニで少しばかり立ち読みをしていたのだが、今週の週刊現代がなかなか面白そうだと思い購入してみた。(まあ、週刊現代も五十歩百歩だが、それは百も承知で…)
そしてその中の内田樹・神戸女学院大学教授の「腐ったマスメディアの方程式」の記事は、なかなかいいところをついていると思う。

私がテレビ業界や出版業界に対して日頃感じていることに近いことを指摘していて、そしてこれからのテレビ・出版業界の生き残りについて書いている。記事は3ページと短かくこの記事の中では踏み込んだことは書かれてはいないが、、この教授が執筆した「街場のメディア論」というのが光文社新書から出ているそうだ。早速購入してみようと思う。
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by couricafe | 2010-09-28 02:44 | 雑談